第一章 ジェイムズ経験論の輪郭
第四節 ジェイムズ哲学の背景
次にわれわれはジェイムズが社会的ないしは思想史的にみていかなる立場にあったかをみよう。ジェイムズの生きた時代即ち十九世紀後半から二十世紀初頭にかけた数十年間のアメリカは湃澎として大地が人間の荒々しい足音とともにみるみるうちにふみならされていった内部的発展の時代であった。国として生まれたばかりのアメリカは無限の可能性をもっていると信じられ、開拓精神がその可能性を実現する人々の哲学的支柱であり、しかもめぐまれた資源の元では彼らの意欲は富という形で物質化されるという条件にもめぐまれていた。
とりわけジェイムズの生きた時代は諸外国からの干渉にも動ぜぬ国家として成長しており、唯一の内部的混乱であった南北戦争以後は文字通り個人が自らの力でもって自らの可能性の追求に邁進しうるすばらしき時代であった、とされている。そこには社会そのものが個人の野心のすべてを受け入れる豊饒さをもち、又そのことの故に大きく変動し、完成されていく多様性をもっていたのである。当然かかる社会を反映するアメリカの精神なるものがそこに誕生し、アメリカ思想界においても支配的になるのはいわれるまでもない。
それではアメリカの精神とはどのような考え方に支えられていたのであろうか。ここに一つの代表的な例をあげてみよう。J・E・スミスは次のような三つの信念をあげている。
「一つは思考とはもともと具体的状況に応じる活動であり、この活動は諸問題の解決を目的にしているという信念である。二つは観念と理論は一つの『鋭利な刃』をもたねばならないか、それともそれらをもつ人々の生きる状況において、一つの差異をつくらねばならないという信念である。三つはこの世は教化されうるし、進歩にとっての障害は知識の応用によって除去されうるという信念である。総じてこれらの信念は基本的に人間主義的見地を明確にしており、究極的にはアメリカのける哲学的思想の精神は……善が支配的カテゴリーであるという古い伝統の別の露呈である。この展望にたってあらゆる事物はよき生活の基礎づけと確立への貢献からその価値をみちびきだすのである。」(一)
われわれの考察するジェイムズ哲学も又これら三つの信念の吐露であると考えるのは間違っていないだろう。のみならずほとんどすべてのアメリカ思想家はスミスのあげるかかる信念に支えられた思考を超ええない限界性をもつのである。
ところでこのアメリカの精神即ちジェイムズ哲学はいかにして形成されてきたのか。それはアメリカがヨーロッパのアンチ・テーゼとして、そしてヨーロッパの鬼子として建国されたように、ヨーロッパにおいて主流を占めていた近代哲学思想の否定の上に、そしてそれを否定しきれずにその残骸をさらす形で生まれてきているのである。
そこで論議をすすめやすくするために、われわれはここで近代哲学の主流の特徴を確認しておこう。J・M・ボヘンスキーの言をまつまでもなく近代哲学の主流は「機械論」と「主観主義」であるとみてさしつかえない。(二)とりわけジェイムズの生きた十九世紀においてはそれらは「科学的哲学思想」と「体系的決定論的観念論」となって具体化されていると考えるのが常道であろう。従ってジェイムズ哲学はそれらの二大潮流を超克しようとし、その結果アメリカの発展の社会的背景による支持をえて、それなりに一つの開花をみるに至ったと考えられるべきである。以下そのことはこれらの思想的潮流に対するジェイムズの対応の仕方を考察すれば一層理解されるであろう。
ジェイムズは機械論の近代版である科学的哲学思想に一時的にしろ心を奪われた哲学者であった。否誰の目にもあきらかなようにジェイムズは科学者的な目をもっていた。ペリーがジェイムズをさして最後の哲学的心理学者であると同時に最初の科学的心理学者であるといったのは正しい評価である。そのジェイムズの最も注意を払った対象とは何であったのか。それは人間存在そのもの、とりわけ生の問題であった。
デカルトの「コギト・エルゴ・スム」、パスカルの「考える葦」の言葉に代表されるように、人間を思惟する存在、思考する存在として強調する点において、一つの人間像を浮き彫りにしようとした近代人の共通の考え方は、ジェイムズにおいても例外ではなく、彼も又人間の心的現象・心的事実・精神の存在についての考察的態度をもち、感じる存在としての人間像をうきぼりにしようとした。彼はそれらを心理学の対象として処理しようとした。この心理学こそ実は人間の心的生活を科学としてとりあつかうことを示す一つの学問的名称なのであった。
われわれはここでジェイムズが科学をいかに考えていたかを若干知る必要があろう。ジェイムズにとれば科学とは勿論自然科学の意であった。そしてこのような科学の仕事とは、自然現象(精神現象も含む)の機械性を受動的に認める以外のなにものでもなかった。その意味ではジェイムズの主観的意図においては科学のはたす役割は否定されている。なぜならばそれは抽象そのものであり、そのため「科学思想の世界は実在が存在する方法や、実在がわれわれの前にあらわれる方法とは全く一致しない」(1)ものとして考えられているからである。
さらに科学とはよく言われるように事実を、又事物を、ありのままにみる態度であるといわれているが、ジェイムズにとっては実はそうではない。「科学にとって事物の本質は事物がみえるところのものではなく、奇妙な法則に従ってお互いあちこち動いている原子と分子であり」(2)「科学が信じている最も頑固な外的関係は全く経験の事柄ではなく、(排除の過程、即ち現存する状態を無視することによって経験下からはなれねばならない」(3)ものとして考えられている。
かかる科学批判はジェイムズ独特の価値観に基づいている。科学はジェイムズの情緒的価値観に適合しなかったのである。科学のこれまではたしてきた役割は結局物質的世界の拡大と人間の重要性の低下であった。なぜならば人間の経験の全表現はせまい科学的限界をとびこえる程の広大さをもっているからである。科学は単に存在するものについてのみ語るが、今存在しないが人間の直接的経験によって実在的になるものに対しては語りえない。かかる諸点にジェイムズの科学批判の根拠があった。
ジェイムズの科学批判は「実証的」見地からほど遠いかもしれないが、他の面においては大いに正しかったのである。ジェイムズによって書かれた『プラグマティズム』の一節にはその科学の特徴が見事に表現され、今日のわれわれにも共感を与えている。
「〔常識に対し存在する〕批判的思想の中の科学的傾向は、最初純粋に知的な動機によって促されていたが、われわれの考えが驚かされる迄に実際的効用の全く予期されざる分野をきり開いた。ガリレイは正確な時計と正確な砲術をわれわれに与えた。化学者たちは新しい薬と染料でもってわれわれに光をさしこんだ。アンベールとファラデーはニューヨークの地下鉄とマルコニーの電信をわれわれに授けた。そのような人達が発明した仮説的事物は、彼らがそれらを定義したようなものとして、感覚によって検証される諸結果の非常なる豊饒さを示している。われわれの論理はそれら仮説的事物から一定の条件のもとでは一つの帰結を演繹することができる。そこでわれわれがその条件をもたらしうるならば、すぐにその帰結がわれわれの目の前にあるのである。実際的な自然支配の範囲は新しく科学的思考方法によってわれわれの掌中におかれると、常識に基づく古い支配の範囲を大いに凌駕した。それの増加の割合は誰もその限界をたどりえないほどに加速している。人は人間の存在が彼自身の力によっておしつぶされるということ、即ち人間の知性は次第に増大する恐ろしい機能、ほとんど神的な創造的機能、をますます人間をして使わしめるだろうが、一つの有機体としての確定せる人間の本性がそれらの機能の酷使に耐えるに十分であるとは判明しえないということを恐れさえするかもしれない。丁度、浴槽の中で水の栓をまわしたが、それを閉めることができない子供のように、人間は自分の富に溺れるかもしれないのである。」(4)
しかしながらジェイムズの科学に対する恐怖はそれによって彼から科学の一切を排除することにはならない。なぜならばジェイムズはその恐怖が究極において科学のもたらす一元論的、決定論的、唯物論的な思考の世界にあるとし、それに批判の目をむけたからである。
そのことによって確かにジェイムズは、ボヘンスキーのいうように、この科学の設計した世界像に対し「生の権利、人間的な人格の権利と精神的価値とを救うことを自己の使命と感じた」(三)のであるが、あまりにも精神が豊かであり、そのために現実に寛容的であったジェイムズは十九世紀の新生児であるダーウィン主義的進化論の影響を受け、それが前述の思考のひからびた世界に対抗する一つの仮説であると信じるに至った。それも又一つの科学主義であり、それは十九世紀以前の科学思想(そして今日ではそのプラス面が肥満児に成長している科学思想)、即ち静的で人格のほとんど介入できない冷淡さをもった科学主義と一見対立しているようにみえながら、機械論の魔力からぬけられないという意味において、本質的にはそれと同じ性格をもっている即ちダーウィン的進化論ないしは生物学的進化論は、生の本質を感情とか意志の中にみ、生の発露を直接的に高揚しているようにみえながら、実はそれ自身自然の機械的な反応にすぎないと告白することによって科学主義の冷淡さを迂回的に伝えるものなのである。
しかしかかる結論が下されるとはいえ、ジェイムズの環境に対する個人の奮闘は熾烈であろうことが推察されねばならない。ジェイムズがなぜに主意主義的立場にたたねばならなかったのかは、自然的環境に対する個体の自立性、社会的環境に対する個人の重要性が当時の人間の生存にとって不可欠の要素であると考えられていたからである。ジェイムズの半主知主義的傾向は実は人間的生の本質を精神の中の知的活動に見いだすことによって精神それ自体があたかも一つの自動機械であるかのように、即ち技術的能力しか機能しえぬ機械的存在であるかのように堕落していくことに対する反発にそのすべてが由来している。
知性が環境に対してなしえる最大の行為とはそれへの順応であり、それによって人間的個体性を自然の中の単一的で小じんまりした存在の状態にあまんじさせるのである。そのような意味において知性とは究極的には人間に内在する多様的で自由なる人間本性を正しく洞察しえない欠陥をもっているのである。
その意味ではわれわれはこの欠陥をみぬいたジェイムズがダーウィン的進化論に人間的生のあり方の十全性を期待し、かえってその一元的、機械的特性の術中におちいらんとしつつも、徹底的に主意主義的立場に身をおくことによって、そこからのがれようとした、彼の皮肉な「奮闘的努力」の意義をみそんじてはならないであろう。
ジェイムズにこのような形の科学主義をとらせたのは主観主義にみちた体系的観念論である。具体的にジェイムズが指摘したのはイギリスにおけるT・H・グリーンやケアード等のオックスフォード学派、ドイツにおける新カント派、新ヘーゲル派、特にアメリカにおけるロイス等の理想主義の人たちの哲学であった。これらの人たちの哲学はジェイムズの生きた十九世紀後半には一時的にかなりの勢力をアカデミックな分野においてもつにいたったため、「非体系的な逍遙」家のジェイムズの反感を少なからずかい、ジェイムズを科学的立場に身をおかせる奇妙な役割をはたしたのである。
なぜならばこれらの観念論はジェイムズが気質的に最もいみ嫌うところの抽象的、普遍的、絶対的、一元的、宿命的な理論をあからさまに主張しているからであり、そのことの故に、ジェイムズをして実証論的見地即ち科学的見方をとらせたのではあるまいか。
だが実証論的見方はジェイムズの根底にある主意主義的見方と調和する筈がない。それはジェイムズの関心がやがて心理学から離れていった過程の中に示される。そこにおいてジェイムズは心理学という実証論的見方では経験のもたらす真の実在性が捨象されてしまうこと、そしてかかる科学的態度のもとではわれわれが生の直接的流れと不可分な実在性の厚みに近づきえないこと、をみぬいたのである。
とはいえジェイムズの哲学的気質にあっては主意主義的立場を貫くのは金科玉条である。観念論にも、そして一時的に賛同したが後には否定した科学主義にも背をむけねばならなかったジェイムズはそれでも自らの立場を維持するためには哲学的孤塁を守らねばならなかった。即ち観念論の否定において科学主義者として命名されても、科学のもつよそよそしさに耐えられないジェイムズは「信ずる意志」の存在を固く信じて、その科学主義にも決別せねばならかなかった。
かくてジェイムズは当時の時代的背景からして決して浮きあがるべき異端性をもっていなかったにもかかわらず、単なる思索家として、珠玉のごとき光をてらす、きわめて個人的で、神秘的な経験の世界に生の本質を見いだそうとする。この彼の精神的雄々しさは、結局は機械論と主観主義の妥協と調和によって、それらが人間に与える悲惨的部分を被いかくし、もって最も現実に迎合するという結果をもたらす物わかりのよさとなり、後になって一部のものに一時的に大いに認められるのである。
さてここでわれわれはジェイムズ哲学生成について彼の主観的意図からではなく、もう少し社会思想史的流れの観点にたって考察してみよう。
まず第一にジェイムズの科学批判は、現代における程さかんでないにしても、すでに十九世紀において思想的な段階で生じていた科学批判の波にのっとったものである。ニュートン物理学によって確定された自然観及びそれを支配する科学的法則はそれまでの時代においては絶対的であり、人々はそれらに対して無謬の前提的態度でもってのぞんでいた。それは批判主義を唯一の哲学的態度とする哲学者においても妥当しており、彼らにとっても現実を支配する最も実在的な世界としては科学的な世界が考えられていたのであり、従って人々の思考の大半は現実的世界ないしは現象界における科学の絶対的価値観に基づいていた。
科学の絶対的価値の信仰は科学の客観的価値の存在へと保証する。いいかえれば科学の体系や概念は存在そのものの客観的性質をあらわす、という偏見をもたらす。その意味で十九世紀後半から末期にかけて一部の哲学者によって科学の権威が哲学的根拠からくずれさられたのは重要な思想史的意義をもっているといわれねばならない。この内特にブートルーの『自然の法則の偶然性について』『自然法の理念について』、デュエムの『混合と化合』、ポアンカレの『科学と仮説』、アペナリゥスの『純粋経験の批判』、マッハの『感覚の分析』は科学批判の書物としては代表的といわれるだろう。
彼らの科学批判の哲学的根拠とは何であるか。それは科学が実在を正しくとらえていないという点である。これはいいかえれば実在についての考えが大きく変遷してきた結果でもある。それまで実在とは知的見地から合理的である限りにおいて認められてきた。即ち知性によって把握されるものが実在であり、それ故に実在とは概念化、普遍化されうるものであるばかりか、概念化、普遍化されたものそれ自体を意味していると考えられていたのである。しかし彼らの哲学的認識においては実在とはこういった知性によってうちたてられる科学的法則ではとらえられない存在の豊饒さをもち、且つ連続的、流動的様相をもち、従ってすでにうちたてられた法則の側からは今後あらわれてくるものは偶然的なこととしてとりあつかわれねばならなかった。
従ってここからえられる結論は科学が実在そのものを示しえないで、実在の一部を示すにすぎないと考えられるか、ないしは実在を象徴としてとらえるための方法にすぎないと考えられるかのどちらかである。
前者は科学の絶対性を否定し、科学としての存在理由が相対的且つ偶然的であり、科学的真理といわれるものも又あらゆる事象に妥当する普遍性をもたない、限定性をうけていることを力説している。後者は主として科学的概念や科学的体系を人間の経験にとってのみ意味あるものをしてとらえようとしている。それによればそれらは単に主観的な性質にすぎず、実在をとらえ、経験していくための一方法の地位にまでおりている。
われわれはこの二つの考えによって知性に代わるなにものかが実在をつかみうる実体であることを暗示せられる。これによって科学批判の背後には反主知主義の機運が生じ、主意主義がとってかわろうとする動きが哲学・思想界にあったと判断しえるであろう。哲学の側よりなされるこの科学批判が実は科学の存在そのものの否定にまでいたらず、せいぜい科学的存在の絶対性の否定という時点で終わったのは(あるいは終わらざるをえないのは)周知の事実でもあるが、しかしながら思想的段階でこの偶像破壊を行った影響は無視されず、その哲学的根拠は現代における科学的批判のパターンともなっているばかりか、後にプランクやアインシュタイン等の科学者によって別の科学的立場にたった科学批判のヒントを与えたともいえなくもないであろう。
第二はすでに前半の部分で触れた生物学的進化論の流行である。われわれが再びこれをとりあげるのは、生物学的進化論がジェイムズの精神を単に刺激しただけでなく、もっと広い意義、即ちそれが反主知主義的流行の具体的事例となっている点、からである。科学が知性と結びつき、なんらかの合理主義的精神に支えられているとするならば、この生物学的進化論はあきらかにこれまでにない一つの反合理主義に支えられているという意味において科学に対する造反を行っている。
とはいえ厳密にはこの学説は自然科学の機械論的理性の一つの考え方に反対しているのであって広い意味では反合理主義とはいわれえない。なぜならばそれは生命の本質を知的ないしは理性的に考えずに、情念的、意志的に考えていこうとする合理主義の一つであるともいえるからである。従ってそれは生命の本質を情念ないしは意志にあるものとして考え、知性ないしは理性をそれらに奉仕させようとするところの似非合理主義というのが最もふさわしい呼び方であるかもしれない。
ここにわれわれは反主知主義、主意主義、似非合理主義という三つの考え方に遭遇している。それらは生命そのものの存在の重視をしているという観点からは親近的関係を持ち、ジェイムズのプラグマティズムによれば、同じ意味を持っているのである。そして生物学的進化論はそれらを一つにした現実的学説であるともいいえ、それの根源においては科学のもつ機械論に組しながらも、それの対象が直接的に自然の生命的存在にむけられているために科学的立場の主流である知的世界への挑戦の主役を演じるまでにいたったのである。
この具体例は生物学的進化論の骨子である生存競争及び適者生存の原理に端的に見いだされるであろう。なぜならばこれらの原理は自然において存在する機械的で無情な原理の完全な支配のもとにあるという宿命論の告白であるにもかかわらず、個体としての自然的存在のあり様に最も注目しているからである。そこではすべての事象が個体の関係においてとらえられ、その関係のみが現象する唯一の存在形態であり、永遠的なもの、不変的なものの認容は一切許されておらず、ただその関係を通じて個体的にすぐれた能力と生への意志の強靱さをもっているものが、より価値ある存在として認められるのである。
生物学的進化論のはたした役割は思想史的にみれば生への意志の概念を実りあるものにしたことと同時に、人間自身の問題としては、個人の存在の重要性を再認識させたことである。そしてさらには従来の人間論的考察にとって本質的とみられた「考える個人の存在」を「意志する個人の存在」へと人間評価の基準を移行せしめたことである。当然そこからはあらゆる事象が知的対象ではなく情意的対象として還元される見方が生じるであろう。従ってあらゆる事象は意志の対象として価値をもっているものとみなされる価値論的立場が唯一の思考として残るだけである。この価値論の基準にはかの生物学的進化論から導きだされる生存競争及び適者生存の原理が適用され、且つよく生存することが目的化されるために、個人としてかかる状態を維持しようとする人間的意志が最も尊重されることとなり、その意思の能力の存在価値如何によって、人間的優秀さが保証されることにもなるのである。
さてダーウィンによってはじめられたこの生物学的進化論について、われわれはもう一つの意義を認めねばならない。それはこの学説が社会的影響を及ぼし、結果的に人間の個人としての存在の尊厳性を改めて強調するにいたったのは、体系的観念論の合理論に対する反発と同様に、科学主義の抽象論的決定論に対する反発が原因していたとも考えられる点である。それは奇妙にも生物学的進化論が逆に科学の新しい部分であることを告白させられたかのような役割を演じている。なぜならばそれは宗教的教条と制度に対する科学からの批判の機能を果たしているとみなされるからである。そこでは従来の人間に対して支配的であったところの超自然的現象に対する誤れる畏敬的態度及び形而上学的世界の盲目的信仰がこの生物学的進化論によってものの見事に打破されたという点が科学的成果として退けられない妖怪的性格をもっている。
われわれはこの点においてもそれはジェイムズに影響を与えていると考えねばならない。というのはジェイムズは超自然的現象に対する誤れる畏敬的態度と形而上学的世界の盲目的信仰がすでに人間の手に届かぬ彼岸的性格をもち、かえって人間に有害に作用しているという事実に対する反発を感じたので、それを告発しようと欲して、生物学的進化論を用いたからである。いずれにしても生物学的進化論はそれまでの科学的あり方に対しても、又宗教的、哲学的あり方に対しても多大の影響を与えたのは間違いのない事実である。それは単に進化の概念の単なる解釈ではすまされれないで、ジョサイア・ロイスのいうごとく、より成熟したその意義の宣伝とその応用とに向かおうとしていたし、ジェイムズ自身この時期に属する進化論運動に参与した創意ある代表的哲学者の一人であったのである。
第三の機運とは合理論的思考の破綻が生じてきているという純粋に哲学的な領域における動きである。なかんずくシジゥイックによって暴露されたところの形式論理学の矛盾、即ち論理が実在に適用されえない点に対する批判である。形式論理学それ自体は人間の思考構造にのっとる限りは矛盾的な性質をもっていない。あたかも数字において1+1=2の数式が疑われない真理を示しているのと同じである。形式論理学にしても、数学にしてもわれわれが精神の中で一つの前提をこしらえ且つそれがすべての人間に了承されているという意味で有効的なものである。形式論理学の価値がそれまで疑われなかったのはそれのもつ単なる普遍性の概念が主知主義的な人間に対して権威をもっていたからである。かかる概念が単なる知性ないしは理性の産物であるにもかかわらず、あたかも自立的で、感覚的人間とは無関係に存在するようにみえたのは、具体的事実との照応を真理の検証方法とはしないで無視したところの合理論の僭越的態度からであり、われわれがそれに盲目的であったからである。
しかし現時点においてあきらかにされているように形式論理学が具体的事実と衝突するのみで、それを包括するほどの力をもっていないという考えがそのころにおこったのは、人間にとって具体的生とは何かの再吟味が要求されていた証拠となるであろう。即ちその要求の結果として論理が実在に適用されないということになったのは生と実在が不可分の関係にあり、それらの流動性、躍動生、連続性が重視されてきたからに他ならない。
奇妙なことにこの点においてこの機運に一つの影響を与えたのは科学の実証主義的方法の広まりであり、それが形式論理学における真理をも検証する必要性を促したのである。それ故知的作用という観点からは科学的方法と哲学的論理的方法とはもともと同じであったにせよ、前者は後者の権威をうちくずすには恰好の手段だったのである。しかしそれよりもかかる形式論理学が攻撃される背景として、哲学上の動きとして、プラトン以来の超越的哲学の偶像がこわされ、経験論を基調にしたヒューマニズムの哲学が唱えられてきているという歴史的事実があるのは忘れられてはならないだろう。
こういったヒューマニズムの哲学が合理論に対立しているのはいうまでもない。当時の合理論の端的な特徴とはあまりにも客観性、普遍性を要求するために生じる合理性の絶対視である。そのために人間的存在の中の知性の働きに異常なまでの期待がかけられ、人間的知性の作用(実際はいろいろな事象を比較考察する技術的能力しかない)にすべての根拠が求められようとしたのである。この合理論の傾向はある種のグノスティシズムをもたらし、その理論的性格から、すべての事象の意義について合理性に基づく客観的明証性だけに確かさを求め、人間の存在すべての問題との関わりはどうでもよかったのだから、当然破綻をきたしてくるのである。しかしその結果がアグノスティシズムにいたらず、ヒューマニズムの哲学を導いたのは、主知主義的哲学がうち捨てられ、主意主義が採用されるという哲学的風潮があったからに他ならない。
以上がジェイムズに影響を与えたと判断される三つの機運である。周知の如くこれら三つの機運は主知主義に反対し、個人の情念と意志の働きを中心に据えて考えているという点で一致している。だがこれらが十九世紀後半の思想界において中心的であったと判断するのは間違っている。それはあくまでも従来の支配的な思想に対するアンチ・テーゼとして設定されているにすぎないのであった、歴史の大きな流れの中の一筋以上のものを示しえまい。われわれはやはりボヘンスキーのいう「機械論」と「主観主義」の軛から逃れられずにいるのであり、現代においても主知主義的思考を放棄しない限り、依然としてこれら二つの考えは主流を占めているといわれえるのである。
ただこれらの考えに反発する機運も又社会的に無視されてはなるまい。そしてこれらの機運がジェイムズ哲学を誕生させていると考えれば、ジェイムズ哲学は決して単なる個人の主観的な欲求に左右されるところの根なし草ではなく、社会的勢力としても又人間本性にねざした有効的力をもっているものとしても無視されえない歴史的産物であることは銘記されねばならない。
話を戻して考えてみた場合、分類好きの批評家ならこのジェイムズの思想の歴史的思想的背景なるものの実態が、実はプラグマティズム、あるいはベルグソニズムの如き生の哲学の勃興の隠れた説明に他ならないことをみぬくであろう。だがそれを認めるにしてもわれわれはジェイムズのプラグマティズムが決して世間で誤って伝えられているような卑俗な理論的性格をもっているのではなく、社会的にもっと深い哲学的意義を背中に背負っていることを感じとらねばならないだろう。即ちジェイムズが知性の非人間性に依存して人間に敵対的に現象してきた科学と抽象を問題にする論理学・哲学の抑圧性から解放しようとした努力は一度なりともすなおに認める必要があるのである。
尤も、特にジェイムズの批判の焦点が科学にむけられているのは抽象的論理や主観主義的体系への批判的態度が軽視されているからではない。それらが主知主義的思考にのっとっている共通性のもとに、今や科学が一切の主知主義的思考を代表する現実的様相をもってきたからにすぎない。この点の了解さええられれば、ジェイムズのヒューマニズムが次の認識に根ざしていると結論づけられるのは容易なことだろう。
「プラグマティズムの事物をみる方法とは最近五十年【十九世紀後半から二十世紀初頭までの期間をさす】が科学的真理の古い考えの中にもたらした崩壊にそれの存在を負っている。『神は幾何学的に形成する』とよくいわれたものだった。そしてユークリッド幾何学の要素は文字通り神の幾何学化を再生していると信じられた。永遠且つ不変の『理性』があり、その声はバルバラとセラレント【ある理論式のよび名】の中で響くと想定されていた。物理学、化学の『自然法』についても又博物学の分類についてもそうであり、それらすべては事物の構造の中に埋もれている前人間的原型の正確にして独特の複製品であり、われわれの知性の中に隠された神性の輝きがわれわれにその原型を洞察することを可能ならしめていると想定せられていた。世界についての解剖は論理的であり、その論理学は大学教授のそれであると考えられていた。一八五○年頃まではほとんどすべての人は科学が非人間的実在の明確な法典の正確な模写である諸真理を表現していると信じていた。しかしこの最近の日々における異常に急速な学説の増大はそれらの学説のどれか一つが他のそれよりもより正しい客観的種類の事物であるという考えをほとんどうちくずしている。非常に多くの幾何学、非常に多くの論理学、非常に多くの物理的化学的仮説、非常の多くの分類学があり、それらのどれも自分の分だけ十分であり、すべてに対しては十分ではないのであり、最も真実なる定式でさえ人間の工夫であり正しい写しではないという考えがわれわれの上にあきらかになってきている。われわれは化学的法則が今やそれだけの『概念的速記』であり、それらが有用である限りにおいて真理であり、それ以上のものでないものとしてとりあつかわれていると聞いている。われわれの精神は再生のかわりの象徴に対して、正確のかわりの近似に対して、厳格のかわりの柔軟さに対して、寛容的になってきたのである。」(5)
しかしながらわれわれはこの時点でジェイムズの考え方を全面的に受け入れてはいけないだろう。ジェイムズの考え方を現代哲学の旗手とするには、それはあまりにも個人主義的、没社会的視野に基づいている。のみならずまさにそれ故にこそジェイムズの考えは総体として否定されねばならないともいわれうるのである。この点については論述の進む中で徐々に(とりわけ第四章で)あきらかにされていくであろう。
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